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妙なる楽の音と朧な衣の舞――夢幻の詩


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福井久子『飛天幻想』(編集工房ノア、2010)



 神戸の詩人、福井久子(1929- )のいまのところ最新の詩集。表紙および本文の挿画を娘の田中美和が描いている。

 飛天とは空中を飛ぶ天人である。別名、天、天衆、飛菩薩、楽天など。空中を飛び舞い、奏楽し、散華(仏の供養のため花を散布する)し、香を薫じ、仏を賛美供養する。もともとはインドの音楽神らしい。

 視覚芸術としては、敦煌の仏教遺跡、莫高窟世界遺産である)の壁画に描かれた飛天女神や、法隆寺金堂の壁画の飛天などが有名である。有翼でない像がふつうで、はごろもを着た女性像の場合は天女という。

 本詩集には「敦煌莫高窟の青」という詩篇もあるが、多くは自由に詩想をめぐらせ、はばたかせた詩である。全部で12篇の詩が収められている。冒頭の詩「飛天」を引く。

虚空を飛ぶから飛天とはよくいった
翼もなく鳥でもないが
輪郭の支える透明な飛翔体
空を舞う花びらに似て
ひらひらと水平に飛ぶ
仏性なく 人でもなく
衣の線で支える いわば
象形文字さながらの賛美の実体
ゆるやかに衣の袖をひるがえし
中天をゆく
華麗にしてもの悲しい
天人の群れ


ここで「輪郭の支える透明な飛翔体」は、まことにモダンな句に感じられる。「仏性なく 人でもなく」は、仏の世界と俗界との間にありながらも、ときに下生(げしょう、神仏がこの世に出現すること)することもあるのではないかと思わせる。「象形文字さながらの賛美の実体」はホィットマンを思わせる詩想であり、一方、「華麗にしてもの悲しい/天人の群れ」はイェーツの描く、空をゆく妖精の群れを想わせる。

 評者は本詩集が刊行されて以来、何度も読返しているが、読むたびに違った「光のプリズム」が違う「天界のマンダラ」を見せてくれるような心地がする(「うかうかと地上を見る」)。妙なる楽の音とおぼろな衣の舞と――夢幻の詩である。