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ドイツとウクライナが交錯する現代史の裏面を抉るボルマンの力作


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メヒティルト・ボルマン『希望のかたわれ』河出書房新社、2015)

 

 インパクトのある本だ。

 特に、ドイツ人の著者が、日本の〈福島の原発事故をきっかけ〉にして書いた本という事情を知ればなおさら。

 ミステリ作家に分類されるかもしれないドイツ・ケルン生まれのメヒティルト・ボルマンの2014年の作品。確かにミステリ的要素があるが、謎解きよりも、むしろ、現代と過去をサスペンスでつないだ小説といえる。

 舞台はドイツとウクライナ。3つのストーリーが別個に展開し、途中から交錯する。その交錯の仕方にサスペンスがある。この30年間のヨーロッパで深く進行している、いわば闇の部分、すなわち、1986年4月のチェルノブイリ原発事故の影響、および東欧から西欧への人身売買の問題を鋭く抉りだす。

 ストーリーの第一はドイツ西部のオランダ国境に面するニーダーライン(Niederrhein [Lower Rhine])地方の村ツフリッヒで農場を営むマティアス・レスマンを中心とする物語。レスマンのところに若い女性が逃げ込んでくる。

 ストーリーの第二はウクライナ原発関連立入禁止地域(「ゾーン」)に住むヴァレンティナ・シチュキナを中心とする物語。ドイツに行ったまま帰らぬ娘を待つ。

 ストーリーの第三はウクライナキエフ警察に勤務するレオニード・キヤン警部を中心とする物語。消息不明の若い女性たちの捜査にたずさわる。

 いずれのストーリーも登場人物たちが陰影をもって描かれ、重層した複雑な事情がからみ合いつつ、最後に収斂してゆくさまは見事である。たった1年で300ページの本書を読みやすい丁寧な日本語で訳出した訳者(赤坂桃子)の力量に感嘆する。地名や組織などに関する脚注がありがたい。

 刊行もとのドレーマー社(Droemer Verlag)には著者が調査のためにウクライナを訪問したときの報告が載っている("Mechtild Borrmann hat die andere Hälfte der Hoffnung gesucht")。

 著者によれば、物語の題材は〈その前の本から繋がっている〉ような気がするということで、本作の場合でいうと、前作『ヴァイオリニスト』(2012、未邦訳)で取上げたソ連の崩壊が、本作のソ連の「終わりのはじまり」に繋がっているということ。『ヴァイオリニスト』(Der Geiger)の邦訳が出るのが楽しみだ。

 本書を読んでいる最中に、2015年のノーベル文学賞に選ばれたスヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチの『チェルノブイリの祈り』をたまたま読んでいて、チェルノブイリ原発事故当時の描写にほとんど同じ記述を発見し、問題のリアルさをあらためて感じた。

 著者が書く。〈ほんとうに悲しくてやりきれないのは、「福島」がなければ、わたしたちはチェルノブイリの大災害を忘れていたかもしれないことです〉と。

 だけど、本書を読んだ人は決して忘れないだろう。その意味で著者の言う〈この本は、今日までずっと大災害がもたらした結果とともに生きることを余儀なくされている人たちの存在を忘れないためのささやかな試みです〉という目的は果たされている。