やっぱり惹き込まれる
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三上延『ビブリア古書堂の事件手帖 (6) ~栞子さんと巡るさだめ~』(KADOKAWA/アスキー・メディアワークス、2014)
本作から読み始める人のための情報も一応ある。けど、これまでシリーズを追っかけて来た読者なら、一発で惹き込まれる(だろう)。
得体の知れない智恵子がいきなり出てくる。この人、娘の栞子(ビブリア古書堂店主)とは好感度がえらい違う。こっちの誤解かもしれないけど。その智恵子が病床の五浦(ビブリア古書堂店員)になぜケガをしたのか顛末を訊いてくる。五浦は智恵子になど話してやるものかと思いつつ交換条件で自分の知りたいことを教えてくれそうなので、話しだす。そうして、太宰治のある稀覯本をめぐるミステリが語られ始める。
物語は栞子の祖父の代に遡る。そもそもビブリア古書堂は祖父が開いた店だ。しかも人から古書についての相談を受ける探偵業のような副業を始めたのも祖父だった。血は争えぬと栞子も自覚する。
問題の本は謎の太宰の稀覯本だ。太宰の署名がないが、太宰の書込みがある本だという。ちょっと考えると無署名である以上、書込みが太宰によるものか確証がない。つまり価値は劣ることになる。だが栞子の推理はちがう。ことによると太宰がいつも持っていた本ではないか。自分用の本だから署名してない。すると書込みは推敲かもしれない。だとするとその値打ちは計り知れない、と考える。そして、栞子への依頼はその本を探し出してくれというもの。依頼者はかつて栞子を突き落としてまで栞子の所有する太宰の『晩年』のある版を奪おうとした男。五浦は気が気でないが栞子には深謀遠慮がある。
こうして物語は危険な匂いを漂わせつつ本そのもののミステリがぐいぐい引っぱってゆく。特に終盤のサスペンスの密度が読みごたえがある。
本作は一冊まるごと太宰治である。主に扱われるのは『走れメロス』『駈込み訴へ』『晩年』だが、他にも多数の作品が出てくる。知られざる作品もあり、相当ディープな蘊蓄が傾けられるので、太宰治が好きな人も嫌いな人も、文学史的な観点からもおもしろく読めるだろう。
巻末の参考文献を眺めると著者の力の入れ具合がわかる。本文でまるで見てきたような迫真の描写がされる『晩年』の稀覯本、砂子屋書房版が参考文献リストに挙がっているのは、考えてみれば当然のことなのだが、それでもちょっと驚かされる。
この砂子屋書房刊『晩年』は国立国会図書館の近代デジタルライブラリーで画像を見ることができる。本書を読んだ人には感慨深いのではないか。奥付を見ると、しっかり定価二円と書いてあり、にやりとさせられる。
本書を通して本と人とのいろいろな関わりかたが描かれる。栞子の祖父、篠川聖司の口癖〈古書は人の手を渡っていく。人と古書の繋がりを守るのがわたしの主義です〉の精神はどこか栞子にも受け継がれている。〈人の手から手へ渡った本そのものに物語がある〉と栞子もよく口にするからだ。五浦大輔もそれに感化されたのか、〈大勢の人たちがいなくなってしまったが、彼らの遺していった古書は今も残っている。持ち主が変わったとしても〉と感慨をもらす。
それに対して事件を引起こす人たちの考えかたはちがう。どんな手を使っても狙った本が手に入れたいのだ。その目的のためには他人を脅すことや傷つけることも厭わない。そこまで行くと、所有欲や物欲の通常のレベルを越え、マンモン(財貨の神)に囚われているかのように見えてくる。見かたを変えれば、その人たちにそこまでさせるだけの魔力が本の物理的形態にあるということだ。初版本というだけではだめで、本の細かな状態の差異、アンカットの状態を気にするなど、「こだわる」ということばの最も好ましくない側面がそういう人たちには現れてくる。
その醜い姿を本書でこれでもかというくらい見せつけられるので、評者などはますます電子書籍の物理性の希薄さに━━テクスト性の高さに━━惹かれてゆく。