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「三月に」をアイルランド語で言うと Marta


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 「三月」の語 'Márta' を取上げる。こういう月の名前が出てくると、季節を通じて連帯感が生まれる。アイルランド語と他の言語、例えば英語(March)との間に。両者は一見してよく似ている。ラテン語マールティウス Martius、即ち軍神マールス Mars の月(ローマのユリウス暦では一月)から発するのだから当たり前である。

 ところが、連帯感はここまでで、もう一歩進むと、途端にアイルランド語が別世界のように思われてくる。「三月に」と言おうとして英語では迷うことなど、まず考えられない。百人が百人とも 'in March' を思い浮かべるだろう。

 文法規則が英語の七倍は複雑と言われるアイルランド語では「三月に」の表現を決めるのはそう簡単ではない。もちろん、ポール・ブレーディ(Paul Brady)の 〈ポンチャートレーン湖〉 (Lakes of Pontchartrain) のアイルランド語版(Bruach Loch Pontchartrain)を知っている人なら、すぐに 'sa Mhárta' の句が口をついて出るだろう。これは英語に直訳するなら 'in the March' の意である。

 そう知った途端に、英語を知る人なら、なんで三月の語に定冠詞が附くの、という疑問を禁じ得ないだろう。まるで、そう思う人を予想していたかのように、アイルランド語には 'i Márta' という言い方もある。これは文字通り 'in March' の意である。

 本当は、ここで上記の sa (= in the) の振舞いについても考えなければならないが、地方により差があり複雑なので省略して先を急ぐと、「三月に」の「に」に当たる前置詞はいったい何が適当かという問題が出てくる。

 結論から言うと、それに当たる前置詞は i 一つとは決められない。他の可能性として、少なくとも、faoi (→ faoi Mhárta)は同程度によく使われる。この faoi は under の意の前置詞だけど、ここでは in 乃至 at 乃至 about の意で用いられていると考えられる。となると、問題は広がって、では、よく似た um はどうだ、などとなってくる。現に 'um Mhárta' のような表現を見かけることもある。

 ここまで述べる間に、語頭変化などに関する多くの文法規則の話を省略している。英語の in や日本語の「に」のようにごく簡単に決まる場合と違い、アイルランド語ではあまりにも複雑である。地方によって文法規則も変わる。これを大変だと考えるか、いやあ、可能性が豊かで面白いと考えるかは、その人次第である。

 だけれど、音楽に関して一つだけ知っておいたほうが有益なのは、こうしたアイルランド語の特性は当然のことながらアイルランド語の詩歌に密接に関係し、従って、それに基づく楽曲の旋律やリズム感に直接影響を与えているということである。それはいわゆるエアーのようなものだけでなく、ある種のダンス曲においてもそうである。もとが英語の詩歌であることもある。

 ゆえに、心あるアイルランド伝統音楽家はみなアイルランド語(や英語)の詩歌に立返ってアイルランド音楽を考えるのである。チューンとして知られるものに歌が存在するならば、必死でその録音を探す。ただ演奏などをする場合でも、頭に思い浮かべる言葉の響きが演奏や表現のニュアンスに影響を与えるからで、言葉とは無縁に単に楽器やその他の音楽性(リズムなど)の可能性のままに展開すればよいというものではない。そうやって放縦に流れれば、それは根無し草となり、アイルランド音楽とは別種の音楽になる。アイルランド音楽とは似て非なるものとなる。アイルランド音楽の種をサンプリングし、いわば遺伝子を組替え、さらに別の起源に基づく音楽と交配させて作り上げたワールド・ミュージックとでも呼べばよい。ただ、それは決して否定し去るべきものではなく、また雑種などと蔑称されるべきものでもなく、それ自体の力強い生命力をやがては備え、旨味をもつこともあろう。そのあたりをボブ・クィン(アイルランド音楽の起源としてアトランティアン仮説を提唱)は一体どう考えているのか、興味がある。