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神々とは、歓びが本質だよ、と泉水子の母はいった


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荻原規子『RDG6 レッドデータガール 星降る夜に願うこと』(2012; 角川文庫、2014)

 

 RDG最終巻。冒頭の章(「消失」)を読んでいると、学園の先生たちと鈴原泉水子(いずみこ)らとのずれがあまりにひどく、大人の感性のにぶさにだんだん苛立ってくる。大人というか、「ふつうの世界の住人」である大人に。

 だが、それはないものねだりに等しい。神霊や幽霊の立場から物を見ている本書の読者のほうが一般的にいえばふつうではないのだ。

 しかし、本人にとってほんとうに大事なことというのは、他人にはなかなか分らないものだ。神霊のことが世界のすべてであると思いつめる者に、視野が小さいの周りが見えていないのと、賢しらに上から目線で告げる者のほうが視野が広いかどうかはまったく不明だ。むしろ、神霊のことが分る者が世界の絶滅危惧種だとすれば、世界の行く末について教えを乞うのはどちらの側であるかは明白だ。

 ところが、そういう神霊ごとに疎い大人ばかりではない。学園の理事長はどうやら陰陽師集団に近い人間らしい。鳳城学園はそもそも傑出した異能者を選ぶための学校だった。一方の山伏組織のバックも強力だ。

 泉水子は、その山伏組織に関わる父(コンピュータが専門で在米中)から、「泉水子がもつ力の解明を、よそでやられるくらいなら、自分たちの手で行おう」としていると聞かされ、その研究が「未来の災厄を防」ぐ目的との言葉にも、不信感をいだいてしまう。ここで、大人の論理との違和感が生じるのは、多感な泉水子の年頃を考えれば無理もないかもしれない。米国からビデオ電話でいくら聞かされても、子供の身近にいてくれない親には心細さを感じたとしても責められない。

 読み進めていくと、神霊のことが分らない大人はもちろん、分っている大人(父や各種霊能者組織)も、泉水子の感じ方や考え方を本当の意味で理解することはできず、そのことが人類の滅亡を招きそうな不穏な予感がどんどん高まっていく。いったい、どうすればこの問題――おそらくは根源的な矛盾――が解決できるのだろう。

 対象読者は(特にそのコミック版は)おそらくYA世代(13-19歳)なのだろうけれど、神霊の内面にまで迫るかのような語りから、今日の電子技術万能の世の脆さを考えさせる指摘に至るまで、豊かで意義深い内容にあふれた物語世界だから、登場人物の年代である高一はもちろん、だれが読んでも何か得るところがあるだろう。忍法、陰陽道修験道など日本の伝統に深く根ざしながらも普遍的な魅力を有する作品だと思う。

 それにしても、神霊に感ずる能力とはいったい何だろうと考えてしまう。ある意味では、生徒会長仄香(ほのか)の言葉にヒントがあるような気がする。幻覚剤を散布する気球を学園キャンパス上空に上げておきながら、それはみんなの恐怖心を抑える作用があったと言い抜ける高柳への反論として語られる(第2章「再審」)。

怖がることも、その人の能力であり権利じゃないの? 恐怖心は生き物にとって生命を守る防御力だよ。勝手に奪えばそれは侵害になる

  内なる闇を外につなげることとは、自分の意識を大きく広げることとは、を徹底的に考え抜いた作品だ。すばらしい。宇宙意識ということばを使ってもいいだろう。その想いが、信念が、胸の中にいっぱいに広がる。世界中のひとがこんな意識を一秒でも持てれば、世界が変わるだろうという気さえする。泉水子がかけたような架け橋がかかるかもしれない。

 それはそうと、最後のほうを読んでたら、思わず電車を乗過ごしてしまったよ。