宮下奈都「静かな雨」は波長の合う人には文学的至福
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宮下奈都「静かな雨」(「文學界」2004年6月号所収、単行本未収録)
宮下奈都のデビュー作。第98回文學界新人賞佳作を受賞。執筆当時3人目の子を妊娠中だったという。
「文學界」新人賞の選者四名の評をいま読むと的外れとはいわないまでもピンぼけないし焦点距離の調節不足の感が拭えない。特に、奥泉光の「透明感のある文章」で十把一絡げに悪罵する選評にいま同意する人はどれくらいいるだろうか。浅田彰に至っては「よしもとばななと江國香織を足して二で割ったという感じのメルヘン」と断じており、引合いに出す作家名にしても、メルヘンのジャンル名にしても、なぜ文芸批評にこんなものが紛れ込むのか理解に苦しむという人がいてもおかしくないかもしれない。
唯一、辻原登だけがまともに読んでおり、実は著者は彼に読んでもらうことを期待していた。語り手について「僕には生まれつき足に麻痺があった。ずっと松葉杖を使っている」の〈ずっと〉に着目するところ、「男たちが戻ってくるのが怖い。戻ってきても、こよみさんにはわからないのだ。(略)顔を覚えられないこよみさんには警戒のしようがない」に危機を感じるところ、これらをふまえた純愛小説と読取るところはさすがに著者が期待した波長の合い方だ。
この小説はたいやきをこの上なくうまく焼く女性と語り手、およびその周辺の人物を丁寧に丁寧に描く作品で、その語りのスピードといい、振幅といい、人間的なぬくもりと愛情にあふれていて、読み終わった人は心身の健康が回復し平静になり満ち足りた境地になるだろう。そうは読まない人もいるかもしれないが、波長の合う人にはこれほどの文学的至福はまたとない。