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神秘体験 について「いかにして」と「なぜ」の両者は共存しうる


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ケヴィン・ネルソン『死と神秘と夢のボーダーランド:死ぬとき、脳はなにを感じるか』(インターシフト、2013)

 

 著者は臨死体験にからむ脳神経科学の研究で国際的リーダーとされる。ケンタッキー大学の神経学教授。

 原題は The Spiritual Doorway in the Brain: A Neurologist's Search for the God Experience (2011). これを見ると邦題が示唆する方向は原著書が目指す方向とはやや違うことが判る。

 つまり、邦題が表す部分は原題のほんの一部分しか占めていない。それが最も顕著に判るのは第3部の副題「神秘の脳の奥深く」だ。原題は 'Deep within the Mystic's Brain' で、問題は神秘家(mystic)の頭の中で何が起こっていたかにある。端的にいえば、マイスタ・エクハルト(13世紀のドミニコ派の神学者)が述べるような神秘体験は脳神経科学的にはどう解釈されるのか、が著者の問題意識であることは明らかだ。

 そういう観点で本書を読むほうがよく分かる。その一部に臨死体験の脳神経科学的解釈も含まれる。しかし、あくまでそれは本書の本来の関心の副次的な領域だ。そのように理解しないと、聖書以来の膨大な幻視者、見神者の文書を前にした一科学者の純粋な科学的興味という角度が全く脱落することになる。そう思っていれば、例えば日本でもEテレで放送されたテレビ番組「奇跡の生還に導く声 ~"守護天使"の正体は?~」('Science of Angels', 2010)などの趣旨がよりよく分かる。気をつけて見ていると、そういう角度の関心から作られたテレビ番組や著作はキリスト教世界だけでも少なくない。「神体験」は平常時にも起こりうるが、本書が特に焦点を当てるような生死の境のような特別の場合にもあるということで、それを脳神経科学的に解釈すれば、あるいは脱構築すればどうなるのかは一大関心事なのだ。

 神秘体験や臨死体験の際に脳のどの部位で何が起きているかが脳神経科学的に説明できたとする。しかし、それでも、なぜ人間が霊的体験をするかの説明はできない。「いかにして」と「なぜ」、この両者は共存しうる。というか、共存してもらいたい。

 なお、神経内科学と精神医学とが道を分かったのは20世紀初頭のことで、爾来、前者は物理的な脳に、後者は心の問題に的を絞った。精神科医フロイトはもともとは神経内科医だった。