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「とても」


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 芥川龍之介に澄江堂の号があった。

 「ちょうこうどう」

 その号を冠した「澄江堂雑記」という雑記がある。阿刀田高が〈ところどころに興味深い指摘がある〉と書いていた(「ここから入ろう 短編小説の典型」、新潮文庫『文豪ナビ 芥川龍之介』所収)。

  名の由来について〈いつか佐佐木茂索ささきもさく君は「スミエと言ふ芸者にれたんですか?」と言つた。が、勿論もちろんそんなわけでもない。僕は時々本名ほんみやうほかに入らざる名などをつけることはよせば好かつたと思つてゐる。〉と書かれている(「続澄江堂雑記」)。

 名の由来はともかく、ここに「とても」を論じた章がある。

「とても安い」とか「とても寒い」と云ふ「とても」の東京の言葉になり出したのは数年以前のことである。勿論「とても」と云ふ言葉は東京にも全然なかつたわけではない。が従来の用法は「とてもかなはない」とか「とてもまとまらない」とか云ふやうに必ず否定を伴つてゐる。
 肯定に伴ふ新流行の「とても」は三河みかはの国あたりの方言であらう。現に三河の国の人のこの「とても」を用ゐた例は元禄げんろく四年に上梓じやうしされた「猿蓑さるみの」の中に残つてゐる。

秋風あきかぜやとてもすすきはうごくはず 三河みかは子尹しゐん

 すると「とても」は三河の国から江戸へ移住するあひだに二百年余りかかつた訳である。「とても手間取つた」と云ふ外はない。 

  同じ趣旨のことを言語学者のK氏に言ったところ、肯定に伴う「とても」もごく当然のような顔をされたことがある。

 『精選版 日本国語大辞典』を引くと、元は否定的な用法のようであるが、肯定的な内容を導く例も早くも1518年の歌謡・閑吟集から引かれている。

とてもおりゃらば、よひよりもおりゃらで、鳥がなく、そはばいく程あぢきなや 

  「とても」ひとつ取っても、歴史がある。芥川が引いた元禄四年の例は1691年だから、もう肯定的用法も広まっていただろう。