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パリに秘められたブルトン語の謎――沈める寺


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中木 康夫『騎士と妖精―ブルターニュケルト文明を訪ねて』 (音楽選書) (音楽之友社、1984)



 本書はフランス政治史(絶対王制)の専門家がフランス西部の秘境ブルターニュケルト世界の文化伝統を探った本である。ブルターニュ入門書としては高い評価を得ているが、残念なことに現在は購入できない。古書ででも探す価値は十分にある。

 著者自身が何度も現地に足を運び、周辺の眼から中央を見直す必要性を自覚してゆくさまが説得力をもって描かれる。歴史や文明を中央の発展の立場からだけ眺めることの過ちに著者は気づくのである。

 中央といえばパリである。パリの人々は周辺たるブルターニュを差別し軽蔑してきた。木靴をはき、粗末な服を着て、わけのわからぬ「方言」を話す人種として嘲笑してきた。(本当は「方言」ではなく、ブルトン語ケルト系の言語である。)

 しかし、パリの人々は、ブルターニュがヨーロッパでもっとも古い文化をもつ土地だったことを知らず、フランスやイギリスなど西欧の国々ができあがるより千年以上前にケルトの民がすぐれた文化をつくりだしていたことを知らなかった。

 そもそも、パリはなぜパリというのか。ブルターニュ半島の先端にはかつてイス(Is, Ys)という都があった。5世紀頃、海上商業を支配したイスの繁栄に比肩すべきものはなかった。その盛名をうらやんだフランスの都(今のパリ)の住民は、イスに匹敵する(Par Is)というブルトン語の名を採用し、これがパリ(Paris)の語源になったといわれている。

 この都はその後、海底に沈んでしまった。その大聖堂の伝説を幻想の中にうたいあげるのが、ドビュッシーの「沈める寺」'La cathédrale engloutie' [The Engulfed Cathedral] (ピアノ前奏曲集第1巻)である。

 その他、トリスタンとイズー(イゾルデ)、聖杯騎士、「青ひげ」物語、ケルトの祭り、小人族、巨石文化などさまざまな側面を扱いながら、いにしえのケルト文化の地、ブルターニュの魅力を浮き彫りにする。読みごたえがある。