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現代人の記憶力


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はてなのアンケート(30代までが対象)から(質問日:2005/02/04)。【質・50】いいアイデアを思いついた!けどメモするものが無い、そんなとき

ほとんど忘れてしまう 20
半々ぐらい 24
ほとんど覚えていてあとでメモできる 6
 
つまり、約1割の人は相当記憶力がいい
また、半分くらいの人は何らかの記憶があると信頼できる。残りの「ほとんど忘れてしまう」の4割だけど、本当に記憶力がないかというと、そんなことはなくて、何らかの原因で忘れるのだろう。別のことに忙殺されるとか、集中力が持続できない事情があるとか。よい記憶がどれくらいの時間持続するかアンケートをとれば面白いかもしれない。
 就寝中に思いついたいいアイディアの場合はどうするか。起きた時にこれが思い出せれば有益だろう。枕元にメモを置いておくとよいというが、起きて書いてしまうと再び眠れるかどうか不安がよぎる。
 メモの問題については、レオナルド・ダ・ヴィンチ (ペンギン評伝双書) の伝記(ヌーランド著)の第6章「手稿」のところに面白いことが書いてあったのを想いだす(邦訳:岩波書店)。つまり、あとでもっと長持ちするファイルなどに内容を移し変えるつもりで人はメモするのだがという話だ。それができないから<手稿の散逸>が発生する。
 ところで、現代人の記憶力を過去の時代と比較するなんていうことはできるのだろうか。
 詩歌の分野では一つの物差しがある。韻をどれくらい遠くの行と踏めるかという物差しだ。
 私の経験では、現代詩人の場合でもすぐに聞き分けられるのは隣り合った行、或いはせいぜい一行おきの押韻である。それ以上離れたら、耳だけで聞き分けるのは難しい。つまり、現代人の耳のバッファはせいぜいニ、三行。
 ところが、たとえば12世紀のプロヴァンスの詩人の場合はどうか。これが何と驚くなかれ17行離れた押韻の詩歌がある。それも一つだけ踏むのでなく17通りの韻から成る連を繰返すのである。つまり、耳のバッファ領域は現代人の少なくとも五倍以上ある。聴覚的記憶力さらには聴覚的想像力において現代人はかなり劣化していると考えられる。
 ただし、この場合に、従来日本ではあまり言われていないことを指摘しておく必要がある。それは耳が聞き取る言語音の周波数帯域だ。上記のプロヴァンスの詩の場合はかなり鋭い子音が韻に用いられている。つまり、周波数帯でいうと高い音域だ。このあたりは日本人には聞き取りにくい帯域とされている。この部分が聞こえるように鍛えれば、西欧語の詩歌に対する耳を伸ばすことができるかもしれない。