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Quinn 説への O Laoire の反論(4)


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 クィン(Bob Quinn)が攻撃したオ・リーレ(Lillis Ó Laoire)の議論を振返っている。アイルランドの雑誌 JMI の2003年1/2月号に掲載された議論の続き。

 アイルランド伝統歌唱が非西欧の起源を有することがなぜ偉いということになるのか。これには歴史的経緯がからむ。

 19世紀末から20世紀初頭にかけてのゲーリック・リーグ(ゲール語連盟、コンラ・ナ・ゲールゲ)が推進した運動は、シャン・ノース歌唱と西欧流歌唱との違いを強調することで成り立っていた面がある。征服される前のゲール文化が黄金期とされ、その文化が現代にまで続いた例がシャン・ノース歌唱とされた。このあたりはイェーツやシングの運動ともからんでゆく。

 裏には、征服者たる植民地主義者をヨーロッパとみなし、そこからゲール文化を切離すことで民族の独自性を強調する狙いがあったと考えられる。

 その過程で今日のようなシャン・ノース歌唱の概念規定が生まれ、合唱形態などは排除されることになったとオ・リーレは述べる(太字は私)。

Choral and harmonised versions of songs were rejected as inauthentic and the solo, traditional singer was held up as a paragon for all to emulate.

 これを初めて読んだときは頭では分かったのだが、ははあ、そういうものかくらいの認識しかなかった。ところが、のちにドネゴール地方に今も生き続けるアイルランド語合唱の実例を聞くに及び、ああ、この対立は百年以上続いているのだと実感した。

 ひとつは、カセットテープでしか出ていない Pobalscoil Ghaoth Dobhair: 《Comóradh 25 Bliain》 に収められたグィードールの地域社会学校の生徒によるアイルランド語合唱。もう一つ例を挙げるなら、Doimnic Mac Giolla Bhride: 《Saol na Suailce》 に収められたアイルランド語合唱。

 こうした合唱を聞いていると、これはドネゴールの人々の生の証の声ではないかと思われるくらい、生命力にあふれた賛歌となっている。こういう伝統のなかにずっぽり浸かっていれば、それを非正統のものとして切捨てるようなイデオロギーに反対したくなる気持ちも分かる。つまりこれは、すぐれて政治力学的な問題なのだが、私の知る限りでは、こういう理論的な闘争をしている人はオ・リーレ以外には殆どいない。多くのアーティストは言葉で戦うことなく、歌で勝負している感じがする。

 ここまでくると、アイルランド伝統音楽における正統的な形という問いを立てたとき、どれほど歴史的なバイアスがかかっているかを考えて一つ一つほぐしていかざるを得ない。最低でも百年はさかのぼらないといけない。

 でも、そうやって今も伝統の正当性をめぐって争うべき時代なのだろうか。百年後にアイルランド語が存在するかどうかも分からない現在、やるべきことは他にあるのではないだろうか。(つづく)