賭け
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日野原重明さんの「92歳 私の証 あるがまま行く」はいつも愛読しているが、今日のは「パスカルが説く信仰心」という題(朝日新聞8月21日 e5)。物理学者にして数学者パスカルは31歳のとき神を「発見」し、その思想は死後『パンセ』にまとめられた。パスカルは信仰についてこう書く。
信仰とは一つの賭けである。〔中略〕どうしても選ばねばならないのなら、利益の少ない方はどちらかを見てみよう。〔中略〕もし君が勝てば、君はすべてを得る。もしきみが負けても、君は何も損をしない。だから、ためらうことなく、神はあるという側に賭けなさい。
(一部、修正)これは233(第三章)に出る。日野原さんは利益を「損害」と書いている。あるいはそう記憶しておられるのか。
もう一つ。冒頭の文「信仰とは一つの賭けである。」はこの箇所には出てこない。たぶん、パスカルはどこにもこうは書いていない。近いのはつぎの箇所である。
信仰によって、わたしたちは神を知る。〔中略〕理性は、この点〔=神の存在〕については何も決定することができない。そこには、無限の混沌があって、わたしたちを分けへだてている。この無限のへだたりの果てるところで、一つの賭けが行なわれる。
この「賭け」の部分は古いフランス語で書かれている。上記の「だから、ためらうことなく、神はあるという側に賭けなさい。」は原文ではつぎのように書かれている。
Gagez donc qu'il est, sans hésiter.
ここで il はもちろん Dieu を指す。gager という動詞は現在は「保証する、請合う」などの意。