Tigh Mhíchíl

詩 音楽 アイルランド

記事一覧

コンテンツ(contents)を英語で解く


[スポンサーリンク]

 コンテンツという言葉がいかに下品かという説が飛び交っている。ここでは英語の立場から解いてみる。
 まず、仲俣暁生さんの文章を挙げる。「コンテンツの創造、保護及び活用の促進に関する法律案」に触れた部分。

コンテンツ、コンテンツとうるさい条文だ。〔中略〕しかし、コンテンツって言葉、ほんとに下品だな。なんとかならんのか。

 続いて、同法案の根拠と仲俣さんが看做す「知的財産基本法」に触れた部分。

ということは、諸悪の根源はズバリこれだろう。国立大学の独立法人化にみられる産学一体化と人文切り捨ての論理を、産業側(およびそれを国策としたい役人や政府)から表現するためのマジックワードが、あらゆる種類の文化・芸術・娯楽をそれぞれの文脈から断ち切って無機質化してしまう「コンテンツ」というひどい言葉なのだ。

ようするに、これからは出版界も映画界もアカデミズムも、すべて「コンテンツ産業」の下部組織になるのだな。

http://d.hatena.ne.jp/solar/20040518

 以上の発言における「コンテンツ」観は、英語の立場から言えば、まことにもっともである。
 英語では単独で contents という用いかたをする場合には意味が限られてくる。前後の文脈に何もそれを限定する要素がない場合には、ほぼそれは、table of contents 「(本や雑誌の)目次」の意になるだろう。
 だけど、同法案で意図されているものはおそらくこれとは違う。第二条に用語の定義がしてある。

第二条 この法律において「コンテンツ」とは、映画、音楽、演劇、文芸、写真、漫画、アニメーション、コンピュータゲームその他の文字、図形、色彩、音声、動作若しくは映像若しくはこれらを組み合わせたもの又はこれらに係る情報を電子計算機を介して提供するためのプログラム(電子計算機に対する指令であって、一の結果を得ることができるように組み合わせたものをいう。)であって、人間の創造的活動により生み出されるもののうち、教養又は娯楽の範囲に属するものをいう。

http://www.shugiin.go.jp/itdb_gian.nsf/html/gian/honbun/houan/g15901007.htm

 この条文の指す意味内容は非常に広義であって、本来の英語が持っていた語感を完全に逸脱し、日本語として独特の意義を附して拡張したものと言える。

 なお、英語においては、普通は、contents of ... の形か、所有格 + contents というような限定を伴った形で contents は用いられる。その場合の意味は、「〜の中身、内容」ということである。たとえば、'I emptied the contents of the fridge into carrier bags.' (冷蔵庫の中身を買物袋に入れた)とか 'The letter's contents were not disclosed.' (手紙の内容は明らかにされなかった)など(いずれも、COBUILD English Dictionary 改訂第3版から)。壜の中身にしろ、演説や書物の内容にしろ、外側の容器に対して中に含まれるものを、その内容の特殊性に着目せず、婉曲に遠まわしに表現する語であると考えられる。

 そうすると、この法案で含意されているであろう「知的財産」にこの語を適用することはいかがなものか。特に、上記条文のような括りかたは、非常に不快感を覚える人が多いのではないか。この法律案は、これまで人類が築いてきた文化遺産を、「ディジタイズされた(複製可能な)文化」の観点から十把一絡げに扱う暴挙であるとは言えないか。

〔追記〕語源的には、名詞の content は過去分詞の content 「含まれた」から来ている。これを名詞化したものが名詞の content だというのが OED の見解。その歴史的由来をふまえた発音だと、強勢はうしろに来る。けれども、現代の大勢は強勢を前に置く。日本語も「コ」にアクセントがあるだろう。

〔追記2〕もともと、他の語句により限定されていた語が独立し、独り歩きするようにするようになると、しばしば意味は変質してゆく。有名な例は culture で、もとは「耕すこと」の意で、必ず culture of ... の形で、つまり「〜を耕すこと」として用いられた。19世紀頃からそのような限定をともなわずに独立して用いられると、だんだんと「精神の涵養」から「文化」へと変化してゆく。

〔追記3〕インターネット上のいわゆる「コンテンツ」という観念を英語で表す場合は、通常は不可算名詞として無冠詞で content という。その意味でも、これを複数形で示す日本語の用法は特異と言える。