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霞が関の常識は、世間の非常識——めずらしい気象ミステリ

松岡圭祐水鏡推理4 アノマリー講談社、2016

 

 研究不正をテーマにしてきた「水鏡推理」シリーズの第4作。本書では研究にからむ民間予報の問題をあつかう。従来、気象庁が行ってきた予報業務が近年、民間で実施可能となっている。民間予報業者、正式には予報業務許可事業者による予報。その予報のメカニズムに不正がないか。

 不正研究費の着服がテーマになる点ではこれまでの作品と同じだが、その構造的特質は文科省内にも存在する。財務省に媚びて予算をなるべく多く工面してもらうためには、あらゆる知恵を使う。

 その意味では、隠されたテーマは〈霞が関の常識は、世間の非常識〉だ。世間の目から見て非常識と思われることでも予算獲得のためなら官僚は実行する。

 タイトルの「アノマリー」は法則や理論と比較し説明不可能な事象のこと。「科学的な常識や原則から逸脱し、偏差を起こす場合もそう呼ぶ。」主人公の文科省の不正研究タスクフォースの水鏡瑞希は「天気の特異日は、科学的に実証されていなくてもたしかにそうなる、アノマリーの一種なんです」という。

 具体的には一年のうちどの日がそれに当たるか。瑞希はいう。「特異日英語圏ではシンギュラリティと呼びます。前後の日と比べ、偶然ではありえない高確率で、特定の気象状態が発生する日。一年を通じ何日かあります。首都圏を中心とした日本列島では、一月十六日、三月十四日、六月一日などが晴れ、三月三十日、六月二十八日、九月十二日などが雨です」と。

 本ミステリではこの特異日が重要な役割をはたす。その日を用いたトリックとは何か。

 民間予報業者の晴れの予報をもとに八甲田山に登った四人の「非行」少女たちが悪天に遭遇し集団で遭難する。気象庁は荒れ模様と予報していた。

 この遭難事件と不正研究とはどうかかわるのか。少女たちの捜索救出が生存限界とされる72時間の壁をめぐり切迫するなか、「非常識」な霞が関の暗部が炙り出される。

 

 

 

 

地磁気逆転と謎の人面塚

松岡圭祐水鏡推理3 パレイドリア・フェイス』講談社文庫、2016)

 

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 研究不正をあつかう「水鏡推理」シリーズの第3作(2016)。

 おもしろさは前作を上回る。最終部の盛り上がりはスリリングだ。

 これまでよりも年代の新しい地磁気逆転を発見したとする科学的報告に対し文部科学省から調査が入る。ほぼ同時に、近隣の山で突然謎の人面塚が発生する。

 これらをめぐって利害が関係する各人の思惑が交錯する。人面塚が発生した山の地主はそれを利用して一儲けし、過疎の村の観光資源にしようとする。山を管理する森林組合は担当者不足に頭を悩ます。文部科学省から派遣された主人公の水鏡瑞希ら研究不正に関するタスクフォースは真実を明らかにしようとする。文部科学省の幹部たちは環境省と何やら相談し、地磁気逆転の発見をしたとする科学者グループの研究を、不正と決めつけようとするかに見える。

 本のタイトルの「パレイドリア」(pareidolia)とは狭義にはシミュラクラともいい、雲や壁のしみが、目と鼻と口を連想させる配列というだけで、顔面と感じる心の作用のこと。

 山中の地震の際に隆起した地面が、上空から見ると二つの穴が目に、もう一つの穴が口に見えるというので大騒ぎになる。

 本書を読んでひとつ気になることがある。水鏡らはあくまで真実を明らかにしようと誠実にものを考えるのだが、文部科学省の上層部からの圧力は研究不正を正すというより、研究不正をむしろ作り出そうとする動きにも見える不可解なものだ。そこにはどうやら、除染廃棄物の中間貯蔵施設の建設がからんでいる。それに限らず、全国でさまざまな施設の建設問題が取り沙汰される。新たな震災による災害廃棄物や、ごみの最終処分場や焼却施設など。

 その候補地となったところがそれを回避するにはどうするか。科学的に重要な調査が始まることなども大きな要素になる。そこに不正があるかどうかは、文部科学省環境省にとっては重大な関心事になる。

 となると、最終的には国策レベルの思惑が働いていることになる。一国の科学研究の誠実さとは別のレベルの力学が働くことは、あってほしくないけれども、現実にはあり得るかもしれないと思わせられる。ことに国の原子力政策がからめば。この小説はそのあたりのグレーゾーンに少し踏み込んでいる。

 

 

[紙の本]  

水鏡推理3 パレイドリア・フェイス (講談社文庫)

水鏡推理3 パレイドリア・フェイス (講談社文庫)

 

 

 

[キンドル版] 

 

「水鏡推理」シリーズの第2作は「文献引用影響率」をめぐる不正

松岡圭祐水鏡推理インパクトファクター講談社文庫、2016)

 

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水鏡瑞希(みかがみ みずき)が活躍する「水鏡推理」シリーズの第2作。

瑞希は二十五歳。文部科学省の「研究における不正行為・研究費の不正使用に関するタスクフォース」の一般職の事務官。

瑞希の小学校のときの同級生が書いた、人工血管の発明に関する論文が、英国の有力誌に掲載されたことが大きく報道される。

この雑誌に掲載されることはインパクトファクターが高い。「文献引用影響率」のことで、ある科学誌に掲載された論文が引用された頻度をしめす数値。「ネイチャー」や「サイエンス」は30以上。この数値が高い雑誌に論文が掲載された研究者は出世の道が開かれる。

この人工血管は切断されても、傷口が自発的に吻合され再生する、自然治癒能力を有する点で画期的な発明。その新技術の発案者が二十五歳の大学院生、如月智美。瑞希の同級生だ。

瑞希はなぜかこの報道が気になり、調べだす。常識にとらわれて真相が見えない周りの思い込みに惑わされず、瑞希は独自の観点でこの掲載論文の問題点を炙り出す。

そのうちに論文の内容にミスや捏造が見られるとの声が上がりだす。共同著者の一人に過ぎない智美がその不正の元凶とみなされる流れができてゆく。どこかおかしいと瑞希は思う。

〈真実はあきらかにするものだ、決めつけるものではない〉

と確信している瑞希は、真実をあきらかにすべくあちこちを調べだす。

全体の7割くらいまでは、展開が早く、息もつかせぬおもしろさだ。

ところが、そこから最終の解決に至るまでは、やや説明が多く、プロットの回収に腐心しすぎて、物語の自然な展開のおもしろさが減る。

それでも、現代における科学研究のあり方についての貴重な示唆を多く含み、その方面に関心がある人や、また松岡圭佑の「人の死なないミステリ」ファンにも、おもしろく読めるだろう。
 
 

[紙の本]  

  

[キンドル版] 

 

 

[シリーズ第1作]

michealh.hatenablog.com

 

21世紀の「逃走論」

花房観音『情人』幻冬舎、2016)

 

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「縦に揺れ、布団に入ったまま宙に浮いてまた落ちた。」(16頁)

1995年1月17日午前5時46分。神戸。

「逃げてるよ。でもそれのどこが悪い? 無理にできないことをして倒れたり病んだりするよりは、逃げて、ひとりで生きていくほうがいい」(113頁)

ダメ人間の群像。男も女もある意味壊れている。

上の言葉を吐く兵吾は自分がダメ人間だとわかっている。

「そもそも、ちゃんと生きようという気がない。誰かのために生きるということも、できない」(113頁)

主人公の笑子の家族の崩壊が決定的になった阪神大震災の日から後の生き方。笑子は京都へ引っ越す。著者は京都をえがく筆致に定評がある。

タイトル通り「情」の諸相を纏う人間がテーマになっている。その「情」はどこか乾いており、それをえがく文体も乾いている。その芯のところに湿り気がないかというと、そうもいえない。しかし、どこに湿りがあるのかについて、言葉に出すこともできないし、実際わからない。

***

ある意味で米国のポスト黙示録と呼ばれる小説とどこか味わいが似ている。

先の見えない、得体の知れない脅威に圧し潰されそうになっている21世紀の現代でサバイバルを図るために、多くの人びとが無意識のうちにあみ出した戦術といえるほどでない戦術。それが男女の情交を通じて、震災後の日本を背景にして描かれている。逃げて逃げて逃げまくれ。それのどこが悪いというのか。そんな声にならぬ叫びや呻きが地の底から聞こえてくる。

笑子の心の声は本心だ。

「逃げてる——兄も、母も——私も、逃げている。だから兵吾ひとりを、責められない。」(114頁)

しかし、逃げることには罪悪感がともなう。その罪悪感からは逃れられない。

震災後、生きのびた人々は、震災で死んだ人々に対し、罪悪感を心のどこかに抱いている。逃げる。逃げたい。けれど、逃げられない。このディレンマは震災後の21世紀を生きる人々についてまわる。

人により逃げる対象が違う。しかし、罪悪感だけは一緒だ。元の彼女を震災で亡くした片岡がなんで「俺が生きているんだろう」と罪悪感を感じるが、笑子も違う罪悪感を抱くことに気づく。

「片岡の口から発せられた罪悪感という言葉が胸に響いたのは、自分が片岡とは違う種類の罪悪感を背負っていたからだ。街からも家からも逃げたという罪悪感を。」(140頁)

しかし、震災後の世界で自分で自分を責めることが正しいことなのか。その問いをこの小説は突きつける。

震災の年に神戸の新聞社に入って復興を追い続けてきた片岡は、街が昔の輝きを取り戻してきたのを機に退職し、小出版社に就職する。それは罪悪感が少しは軽くなったということかという笑子の問いに片岡は答える。

「いや……俺のすべきことは、もう震災を追うことやないって思って……じゃあ次に何をやるべきかというのは、考え中。罪悪感はまだあるよ、毎日感じてる。朝起きて、あ、俺、生きてるって考える度に、俺はこれから何をすべきなのかって、考えてる」(141頁)

笑子はこの答えに「あの震災の日以来、ずっと抱えているものを、この人は言葉にしてくれた」と思い、ふいに心が軽くなる。

これから何をすべきなのか。その問いがあるだけでも救われる。

***

小説の舞台は2006年以降、東京へ移る。仕事場が東京に移った笑子が三都市を比較する。

「三月の東京はまだまだ寒い。
 けれど京都よりもましだ。寒さも、暑さも。神戸も暑いけれど、寒さは東京とはどっこいどっこいだ。東京の空は高い建物で視界が阻まれ、眺める度に狭いと思ってしまう。東西南北がわからないのは、神戸のように海と山が見えないからだ。」(278頁)

京都の空はどこでも見える。高い建物がないから。空と都市とは案外重要な関係がある。

***

笑子は「あれ以上の災害はないと、何の根拠もなく思っていたのは私だけではないだろう」と述懐する。だが、東京にいた笑子に2011年3月11日午後2時46分が訪れる。「こんなことになるなんて思いもしなかった」と笑子は思う。笑子は神戸のときとの違いをこう考える。

阪神・淡路大震災のときもたくさん人が亡くなり街は崩壊したけれど、形あるものは時間をかけて元どおりになっていった。けれど今度の震災は、形あるもの以上に人間を壊した。」(295頁)

それは新たな形をとった。

「嫌なニュースが連日流れてくる。インターネットのせいだ。家で安全な場所にいるものたちが、社会を、人を罵倒する言葉を繰り返す。」(295頁)

既視感がある。米大統領選後、同じような言葉がインターネットに溢れていた。

現代のクロニクルとして、神戸・京都・東京で1995年から2015年までを過ごした笑子の生き方をえがく小説。笑子(えみこ)と運命の出会いをする兵吾(へいご)が、同じ母音 /e/, /i/, /o/ を有するのは偶然なのか。

日本を変える史的断面を生きた人びと。その人間模様を描き出した小説として余韻が残る。

 

 

[紙の本] 

情人

情人

 

 

[キンドル版]

情人 (幻冬舎単行本)

情人 (幻冬舎単行本)

 

 

 

危うし! ロビン(コーモラン・シリーズ第3作)

Robert Galbraith, Career of Evil (Sphere, 2016)

 

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 Cormoran Strike シリーズの第3作(2015)。

 いつもながら、読み終わるのが惜しいと感じられる。いつもながら、唸らされる。これも傑作と数えてよい。

 本作は犯罪小説としては異色のものだ。探偵ストライクが片足を喪っていることそのものが犯罪の動機となったかのような事件が続発する。探偵事務所に女性の片足が送りつけられるところから始まり、次々と謎の殺人事件が起こる。

 最初に送りつけられた足の女性はストライクに足の切断方法を訊こうとする手紙を書いていた。が、ストライクはこれを彼を陥れるための何者かの企みではないかとにらむ。

 送りつけられたのはストライク本人宛てでなく、助手のロビン宛てだった。そのことから、ストライクはロビンの身の安全にも懸念を抱く。調査するロビンを何者かが狙っていることがだんだん浮かび上がってくる。

 この不可解な事件の進行と同時に、間近に迫ったロビンの結婚式の準備も進む。婚約者のマシューはストライクを嫌っている。

 ブルー・オイスター・カルトの歌の歌詞にからめたような殺人を繰返す犯人に対し、ストライクは容疑者を3人にしぼって徹底的に調査する。だが、その推理を警察は斥け、捜査の邪魔をしないようにストライクに厳命する。

 こうした様々の状況がストライクの手足を縛り暗中模索をつづけるなか、クライマクスへと向かう兆しが仄かに見え出すのが全体の8割を超えたころ。そこからは一気に怒涛のような展開が待っている。

 英語の味わいが素晴らしい。紅茶に関する書きぶりはいつもながら嬉しくなる。

 ***
 読者が頭の中で映像化している通りのドラマが作られそうだ。BBC One で全3作がドラマ化されることになり、配役が発表された(放映は2017年を予定)。Cormoran Strike を Tom Burke が、Robin Ellacott を Holliday Grainger が演じる。実際のロンドンの街でどう展開するか、見ものだ。

 

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[Tom Burke and Holliday Grainger as Strike & Robin]

 

[paper back ed.] ペーパバック 

Career of Evil (Cormoran Strike)

Career of Evil (Cormoran Strike)

 

 

[Kindle ed. below] キンドル版(↓)

Career of Evil (English Edition)

Career of Evil (English Edition)

 

 

 

食は世につれ革命につれ

片野 優 (著), 須貝 典子 (著)『料理でわかるヨーロッパ各国気質』実務教育出版 、2016

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ヨーロッパ各国の食や酒をセルビア在住のジャーナリストとライターの二人(夫妻)が書いた本。特にハンガリーチェコの章がおもしろい。

帯に「イギリス料理はなぜまずい?」とか「ワインで人物鑑定するフランス人」とか「国家破綻の危機にあるギリシャがメタボ天国?」の字がおどる。これらは一般読者向けのいわば「つかみ」で、本当にユニークなのは、一般的でない中欧諸国の料理やビール(バドワイザーのルーツがボヘミアチェスケー・ブジェヨヴィツェであるなど)について書いた章だ。

とりあげた国は欧州20カ国。「EU危機の本質を食から読み解く」「ユニークなヨーロッパ論の誕生!」と書いてあり、確かに食を通してみたヨーロッパ各国の姿は政治や経済からみる姿と違い、ユニークだ。

巻頭に7ページのカラー写真があり、各国料理が垣間見られるが、本文中には白黒のイラスト(ミヤタチカによる)が挿入されるのみで、ややさびしい。本当は写真資料は大量にあるはずで、白黒でもいいから写真がもっと見たい。特に、レストランの写真が皆無なのは決定的に惜しい。本書を読んで旅に出かけたくなる読者は多いだろうに。

読者が興味を惹かれる点の説明がないケースがある。例えば、最初のイギリス料理の章に「ヨーロッパで二番目にまずい料理の国」の見出しがあり、読み進んでも、その見出しに対応する記述が出てこない。おそらくイギリスのことだろうとは想像がつくが、一番目の国がどこかも書かれていない。この種のランキングは取り方によりかなり変動するので、もとにしたランキング資料も明記してほしい。

もう一つ注文を。最後の章で「トルコの代表的スイーツ」として「トルコの喜び」という名が挙げられている。その綴りが「Torkish Delight」と書いてある。英語だろうか。もし英語のつもりなら、恥ずかしいので次の版で訂正してほしい。これに気づいて、本文中に出てきた他の外国語が一挙に怪しくなった。ドイツの章の「それは私にとってはソーセージ(Das ist mir wurst)」を見て目が点になった。この本には校正がされているのだろうか。外国語の校正は日本語の校正者の任を超えると思う。

いろいろ注文をつけたが、内容はバラエティに富み、興味深い。ヨーロッパ各国の料理に関心がある人にとっては得難い書。
そもそも食は一朝一夕に出来上がったものでない。背景には歴史的経緯がある。その歴史の部分を解き明かす部分が本書ではことにおもしろい。

イギリスの食が劇的に変化(あるいは衰退)した契機に産業革命があること、美食文化で知られるフランスはフランス革命を契機にレストランの数が劇的に増えたことを述べる巻頭の二章は白眉。

白眉とはいっても、これらはよく知られている内容で、本当に本書にしか見られないユニークな内容は中欧諸国について述べたところであると思う。

 

料理でわかるヨーロッパ各国気質

料理でわかるヨーロッパ各国気質

 

 

端正な恋物語(同工異曲にあらず)

南 潔『黄昏古書店の家政婦さん ~下町純情恋模様~』マイナビ出版、2016

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 誤解を受けやすいタイトルと表紙。しかし、読んでみると、そんなことはない。

 古書店と若い女性。この取合せから想像される、例の謎解きに富んだ、古書の蘊蓄満載の人気シリーズとは趣を異にする。

 これは純粋な恋物語だ。めったに風呂に入らぬ四十手前の古書店主、山下一生と、高校を卒業したばかりの家政婦、菅沼宵子の恋の物語。

 しかし、恋が主題に浮かび上がるのはむしろ作品後半である。それはそうだろう。三食もまともに摂らず、身の回りも清潔にしない男性のどこに十八の女性にとっての理想像が見られよう。したがって、作品前半は、この荒れはてた店主の生活を立て直すことに女性のエネルギーが注がれる。

 作品が幻想味を帯びる瞬間がある。「まんじゅしゃげ奇譚」と題された章で、宵子は神社近くの人気のない道で男の子に出会う。「こーこはどーこのほそみちじゃ」の唄声で気づいたが、通り過ぎたときには気づかなかった子供だ。「ねえ、ぼく。そこでなにしてるの?」と訊くが何も応えぬ。胸に古びた絵本を抱えている。体は擦り傷だらけ。おまけに裸足。そこの用水路は深く、危険なため、宵子は子供を知合いの店に連れて行く。

 ここから子供は不思議な消息をたどるが、山下一生が独自の解釈を開陳し、この店主の深みが読者にも知られてゆく。宵子の見る目も変わる。それからいろいろな小事件が重なり、世間知らずの宵子が人生に倦んだ店主に体当たりでぶつかってゆく。

 いまどき珍しい純愛の物語といえる。めったにルビをふらぬ端正な文体ながら、最後まで飽きさせず、ライトノベルばりの読みやすさで登場人物の群像物語に引込む手腕はなかなかのものだ。めっけもの。

 

黄昏古書店の家政婦さん ~下町純情恋模様~ (マイナビ出版ファン文庫)

黄昏古書店の家政婦さん ~下町純情恋模様~ (マイナビ出版ファン文庫)