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「水鏡推理」シリーズの第2作は「文献引用影響率」をめぐる不正

松岡圭祐水鏡推理インパクトファクター講談社文庫、2016)

 

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水鏡瑞希(みかがみ みずき)が活躍する「水鏡推理」シリーズの第2作。

瑞希は二十五歳。文部科学省の「研究における不正行為・研究費の不正使用に関するタスクフォース」の一般職の事務官。

瑞希の小学校のときの同級生が書いた、人工血管の発明に関する論文が、英国の有力誌に掲載されたことが大きく報道される。

この雑誌に掲載されることはインパクトファクターが高い。「文献引用影響率」のことで、ある科学誌に掲載された論文が引用された頻度をしめす数値。「ネイチャー」や「サイエンス」は30以上。この数値が高い雑誌に論文が掲載された研究者は出世の道が開かれる。

この人工血管は切断されても、傷口が自発的に吻合され再生する、自然治癒能力を有する点で画期的な発明。その新技術の発案者が二十五歳の大学院生、如月智美。瑞希の同級生だ。

瑞希はなぜかこの報道が気になり、調べだす。常識にとらわれて真相が見えない周りの思い込みに惑わされず、瑞希は独自の観点でこの掲載論文の問題点を炙り出す。

そのうちに論文の内容にミスや捏造が見られるとの声が上がりだす。共同著者の一人に過ぎない智美がその不正の元凶とみなされる流れができてゆく。どこかおかしいと瑞希は思う。

〈真実はあきらかにするものだ、決めつけるものではない〉

と確信している瑞希は、真実をあきらかにすべくあちこちを調べだす。

全体の7割くらいまでは、展開が早く、息もつかせぬおもしろさだ。

ところが、そこから最終の解決に至るまでは、やや説明が多く、プロットの回収に腐心しすぎて、物語の自然な展開のおもしろさが減る。

それでも、現代における科学研究のあり方についての貴重な示唆を多く含み、その方面に関心がある人や、また松岡圭佑の「人の死なないミステリ」ファンにも、おもしろく読めるだろう。
 
 

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[シリーズ第1作]

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21世紀の「逃走論」

花房観音『情人』幻冬舎、2016)

 

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「縦に揺れ、布団に入ったまま宙に浮いてまた落ちた。」(16頁)

1995年1月17日午前5時46分。神戸。

「逃げてるよ。でもそれのどこが悪い? 無理にできないことをして倒れたり病んだりするよりは、逃げて、ひとりで生きていくほうがいい」(113頁)

ダメ人間の群像。男も女もある意味壊れている。

上の言葉を吐く兵吾は自分がダメ人間だとわかっている。

「そもそも、ちゃんと生きようという気がない。誰かのために生きるということも、できない」(113頁)

主人公の笑子の家族の崩壊が決定的になった阪神大震災の日から後の生き方。笑子は京都へ引っ越す。著者は京都をえがく筆致に定評がある。

タイトル通り「情」の諸相を纏う人間がテーマになっている。その「情」はどこか乾いており、それをえがく文体も乾いている。その芯のところに湿り気がないかというと、そうもいえない。しかし、どこに湿りがあるのかについて、言葉に出すこともできないし、実際わからない。

***

ある意味で米国のポスト黙示録と呼ばれる小説とどこか味わいが似ている。

先の見えない、得体の知れない脅威に圧し潰されそうになっている21世紀の現代でサバイバルを図るために、多くの人びとが無意識のうちにあみ出した戦術といえるほどでない戦術。それが男女の情交を通じて、震災後の日本を背景にして描かれている。逃げて逃げて逃げまくれ。それのどこが悪いというのか。そんな声にならぬ叫びや呻きが地の底から聞こえてくる。

笑子の心の声は本心だ。

「逃げてる——兄も、母も——私も、逃げている。だから兵吾ひとりを、責められない。」(114頁)

しかし、逃げることには罪悪感がともなう。その罪悪感からは逃れられない。

震災後、生きのびた人々は、震災で死んだ人々に対し、罪悪感を心のどこかに抱いている。逃げる。逃げたい。けれど、逃げられない。このディレンマは震災後の21世紀を生きる人々についてまわる。

人により逃げる対象が違う。しかし、罪悪感だけは一緒だ。元の彼女を震災で亡くした片岡がなんで「俺が生きているんだろう」と罪悪感を感じるが、笑子も違う罪悪感を抱くことに気づく。

「片岡の口から発せられた罪悪感という言葉が胸に響いたのは、自分が片岡とは違う種類の罪悪感を背負っていたからだ。街からも家からも逃げたという罪悪感を。」(140頁)

しかし、震災後の世界で自分で自分を責めることが正しいことなのか。その問いをこの小説は突きつける。

震災の年に神戸の新聞社に入って復興を追い続けてきた片岡は、街が昔の輝きを取り戻してきたのを機に退職し、小出版社に就職する。それは罪悪感が少しは軽くなったということかという笑子の問いに片岡は答える。

「いや……俺のすべきことは、もう震災を追うことやないって思って……じゃあ次に何をやるべきかというのは、考え中。罪悪感はまだあるよ、毎日感じてる。朝起きて、あ、俺、生きてるって考える度に、俺はこれから何をすべきなのかって、考えてる」(141頁)

笑子はこの答えに「あの震災の日以来、ずっと抱えているものを、この人は言葉にしてくれた」と思い、ふいに心が軽くなる。

これから何をすべきなのか。その問いがあるだけでも救われる。

***

小説の舞台は2006年以降、東京へ移る。仕事場が東京に移った笑子が三都市を比較する。

「三月の東京はまだまだ寒い。
 けれど京都よりもましだ。寒さも、暑さも。神戸も暑いけれど、寒さは東京とはどっこいどっこいだ。東京の空は高い建物で視界が阻まれ、眺める度に狭いと思ってしまう。東西南北がわからないのは、神戸のように海と山が見えないからだ。」(278頁)

京都の空はどこでも見える。高い建物がないから。空と都市とは案外重要な関係がある。

***

笑子は「あれ以上の災害はないと、何の根拠もなく思っていたのは私だけではないだろう」と述懐する。だが、東京にいた笑子に2011年3月11日午後2時46分が訪れる。「こんなことになるなんて思いもしなかった」と笑子は思う。笑子は神戸のときとの違いをこう考える。

阪神・淡路大震災のときもたくさん人が亡くなり街は崩壊したけれど、形あるものは時間をかけて元どおりになっていった。けれど今度の震災は、形あるもの以上に人間を壊した。」(295頁)

それは新たな形をとった。

「嫌なニュースが連日流れてくる。インターネットのせいだ。家で安全な場所にいるものたちが、社会を、人を罵倒する言葉を繰り返す。」(295頁)

既視感がある。米大統領選後、同じような言葉がインターネットに溢れていた。

現代のクロニクルとして、神戸・京都・東京で1995年から2015年までを過ごした笑子の生き方をえがく小説。笑子(えみこ)と運命の出会いをする兵吾(へいご)が、同じ母音 /e/, /i/, /o/ を有するのは偶然なのか。

日本を変える史的断面を生きた人びと。その人間模様を描き出した小説として余韻が残る。

 

 

[紙の本] 

情人

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[キンドル版]

情人 (幻冬舎単行本)

情人 (幻冬舎単行本)

 

 

 

危うし! ロビン(コーモラン・シリーズ第3作)

Robert Galbraith, Career of Evil (Sphere, 2016)

 

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 Cormoran Strike シリーズの第3作(2015)。

 いつもながら、読み終わるのが惜しいと感じられる。いつもながら、唸らされる。これも傑作と数えてよい。

 本作は犯罪小説としては異色のものだ。探偵ストライクが片足を喪っていることそのものが犯罪の動機となったかのような事件が続発する。探偵事務所に女性の片足が送りつけられるところから始まり、次々と謎の殺人事件が起こる。

 最初に送りつけられた足の女性はストライクに足の切断方法を訊こうとする手紙を書いていた。が、ストライクはこれを彼を陥れるための何者かの企みではないかとにらむ。

 送りつけられたのはストライク本人宛てでなく、助手のロビン宛てだった。そのことから、ストライクはロビンの身の安全にも懸念を抱く。調査するロビンを何者かが狙っていることがだんだん浮かび上がってくる。

 この不可解な事件の進行と同時に、間近に迫ったロビンの結婚式の準備も進む。婚約者のマシューはストライクを嫌っている。

 ブルー・オイスター・カルトの歌の歌詞にからめたような殺人を繰返す犯人に対し、ストライクは容疑者を3人にしぼって徹底的に調査する。だが、その推理を警察は斥け、捜査の邪魔をしないようにストライクに厳命する。

 こうした様々の状況がストライクの手足を縛り暗中模索をつづけるなか、クライマクスへと向かう兆しが仄かに見え出すのが全体の8割を超えたころ。そこからは一気に怒涛のような展開が待っている。

 英語の味わいが素晴らしい。紅茶に関する書きぶりはいつもながら嬉しくなる。

 ***
 読者が頭の中で映像化している通りのドラマが作られそうだ。BBC One で全3作がドラマ化されることになり、配役が発表された(放映は2017年を予定)。Cormoran Strike を Tom Burke が、Robin Ellacott を Holliday Grainger が演じる。実際のロンドンの街でどう展開するか、見ものだ。

 

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[Tom Burke and Holliday Grainger as Strike & Robin]

 

[paper back ed.] ペーパバック 

Career of Evil (Cormoran Strike)

Career of Evil (Cormoran Strike)

 

 

[Kindle ed. below] キンドル版(↓)

Career of Evil (English Edition)

Career of Evil (English Edition)

 

 

 

食は世につれ革命につれ

片野 優 (著), 須貝 典子 (著)『料理でわかるヨーロッパ各国気質』実務教育出版 、2016

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ヨーロッパ各国の食や酒をセルビア在住のジャーナリストとライターの二人(夫妻)が書いた本。特にハンガリーチェコの章がおもしろい。

帯に「イギリス料理はなぜまずい?」とか「ワインで人物鑑定するフランス人」とか「国家破綻の危機にあるギリシャがメタボ天国?」の字がおどる。これらは一般読者向けのいわば「つかみ」で、本当にユニークなのは、一般的でない中欧諸国の料理やビール(バドワイザーのルーツがボヘミアチェスケー・ブジェヨヴィツェであるなど)について書いた章だ。

とりあげた国は欧州20カ国。「EU危機の本質を食から読み解く」「ユニークなヨーロッパ論の誕生!」と書いてあり、確かに食を通してみたヨーロッパ各国の姿は政治や経済からみる姿と違い、ユニークだ。

巻頭に7ページのカラー写真があり、各国料理が垣間見られるが、本文中には白黒のイラスト(ミヤタチカによる)が挿入されるのみで、ややさびしい。本当は写真資料は大量にあるはずで、白黒でもいいから写真がもっと見たい。特に、レストランの写真が皆無なのは決定的に惜しい。本書を読んで旅に出かけたくなる読者は多いだろうに。

読者が興味を惹かれる点の説明がないケースがある。例えば、最初のイギリス料理の章に「ヨーロッパで二番目にまずい料理の国」の見出しがあり、読み進んでも、その見出しに対応する記述が出てこない。おそらくイギリスのことだろうとは想像がつくが、一番目の国がどこかも書かれていない。この種のランキングは取り方によりかなり変動するので、もとにしたランキング資料も明記してほしい。

もう一つ注文を。最後の章で「トルコの代表的スイーツ」として「トルコの喜び」という名が挙げられている。その綴りが「Torkish Delight」と書いてある。英語だろうか。もし英語のつもりなら、恥ずかしいので次の版で訂正してほしい。これに気づいて、本文中に出てきた他の外国語が一挙に怪しくなった。ドイツの章の「それは私にとってはソーセージ(Das ist mir wurst)」を見て目が点になった。この本には校正がされているのだろうか。外国語の校正は日本語の校正者の任を超えると思う。

いろいろ注文をつけたが、内容はバラエティに富み、興味深い。ヨーロッパ各国の料理に関心がある人にとっては得難い書。
そもそも食は一朝一夕に出来上がったものでない。背景には歴史的経緯がある。その歴史の部分を解き明かす部分が本書ではことにおもしろい。

イギリスの食が劇的に変化(あるいは衰退)した契機に産業革命があること、美食文化で知られるフランスはフランス革命を契機にレストランの数が劇的に増えたことを述べる巻頭の二章は白眉。

白眉とはいっても、これらはよく知られている内容で、本当に本書にしか見られないユニークな内容は中欧諸国について述べたところであると思う。

 

料理でわかるヨーロッパ各国気質

料理でわかるヨーロッパ各国気質

 

 

端正な恋物語(同工異曲にあらず)

南 潔『黄昏古書店の家政婦さん ~下町純情恋模様~』マイナビ出版、2016

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 誤解を受けやすいタイトルと表紙。しかし、読んでみると、そんなことはない。

 古書店と若い女性。この取合せから想像される、例の謎解きに富んだ、古書の蘊蓄満載の人気シリーズとは趣を異にする。

 これは純粋な恋物語だ。めったに風呂に入らぬ四十手前の古書店主、山下一生と、高校を卒業したばかりの家政婦、菅沼宵子の恋の物語。

 しかし、恋が主題に浮かび上がるのはむしろ作品後半である。それはそうだろう。三食もまともに摂らず、身の回りも清潔にしない男性のどこに十八の女性にとっての理想像が見られよう。したがって、作品前半は、この荒れはてた店主の生活を立て直すことに女性のエネルギーが注がれる。

 作品が幻想味を帯びる瞬間がある。「まんじゅしゃげ奇譚」と題された章で、宵子は神社近くの人気のない道で男の子に出会う。「こーこはどーこのほそみちじゃ」の唄声で気づいたが、通り過ぎたときには気づかなかった子供だ。「ねえ、ぼく。そこでなにしてるの?」と訊くが何も応えぬ。胸に古びた絵本を抱えている。体は擦り傷だらけ。おまけに裸足。そこの用水路は深く、危険なため、宵子は子供を知合いの店に連れて行く。

 ここから子供は不思議な消息をたどるが、山下一生が独自の解釈を開陳し、この店主の深みが読者にも知られてゆく。宵子の見る目も変わる。それからいろいろな小事件が重なり、世間知らずの宵子が人生に倦んだ店主に体当たりでぶつかってゆく。

 いまどき珍しい純愛の物語といえる。めったにルビをふらぬ端正な文体ながら、最後まで飽きさせず、ライトノベルばりの読みやすさで登場人物の群像物語に引込む手腕はなかなかのものだ。めっけもの。

 

黄昏古書店の家政婦さん ~下町純情恋模様~ (マイナビ出版ファン文庫)

黄昏古書店の家政婦さん ~下町純情恋模様~ (マイナビ出版ファン文庫)

 

 

言語学的に厳密な訳と注がスリリング

旧約聖書翻訳委員会 (著), 松田 伊作 (翻訳)旧約聖書〈11〉詩篇』(岩波書店、1998)

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岩波書店の「旧約聖書」シリーズの第11分冊。岩波の聖書は単なる詳注版でなく、訳にも大胆な新解釈がもりこまれ、スリリングな巻が多い。

岩波版旧約聖書の特徴は四つある。

1. ヘブライ語原典に従った範囲および配列。
2. 内容理解への補助手段。
3. 訳者名の明示。
4. 翻訳の不偏性。

他と比べて際立つのは3番目の特徴だ。最終的な文責を個人が負う。本書の訳者は松田伊作。

ヘブライ詩の並行法はすべての詩の基本原理を解き明かす上で重要なので、およそ詩に関心があるひとには本書の言語学的に厳密な訳や注は興味深いだろう。(並行法についての巻末の説明は簡にして要を尽くす。)

※ 20世紀に言語学者ローマン・ヤーコブソンが詩的並行法の普遍性を論じた根拠が18世紀の詩学者ロバート・ラウスのヘブライ詩論にあることが広く知られている。

訳文ではっとさせられる箇所が多いが一つだけ例を引く。「神と共にあることを許された義人」についてうたう詩篇15.5。

おのが金を利息付きでは貸さず、
無実の者を陥れる賄賂を取らない。
これらを行なう者は
とこしえに揺るがされない。

この訳の直截に驚く。米詩人エズラ・パウンドが生涯をかけて訴えた西欧の悪の根源の一つ Usura 「ウースーラ(高利貸し)」への厳しい姿勢がこの箇所から窺える。そのインパクトは現在の標準訳である新共同訳ではやや弱まる。

金を貸しても利息を取らず
賄賂を受けて無実の人を陥れたりしない人。
これらのことを守る人は
とこしえに揺らぐことがないでしょう。

この新共同訳は独自性を出すというよりフランシスコ会訳をふまえたのだろう。

金を貸して利息を取らず、
わいろを受けて 罪なき人の不利を はかりはしない。
このように ふるまう人は、
とこしえに ゆるぐことがない。

岩波版はこの詩篇15を「入場律法」と見なす。その点の基本理解は同じでありながら、詩編小委員会訳では「正しい対人関係が強調されており、新約の愛のおきての旧約的序曲となっている」と、力強い解釈にふみこんでいる。

金を貸して利をむさぼらず、
わいろを取って罪のない人を苦しめない。
このように ふるまう人は、
とこしえに ゆらぐことがない。


岩波版の訳注で論議を呼ぶと思われるのが詩篇29.1の注。詩の本文を引く。

ヤハウェに帰せよ、神々(エリーム)の子らよ、
ヤハウェに帰せよ、栄光と力を。

これに対する訳注。

「エリームの子ら」はここと89.7だけ。神話的な天上の神々の世界を下敷きにして、異教の神々、さらにはこの世で神々のように振舞う権力者らを指したのであろう。

岩波版しか読まない人がこの注を鵜呑みにするのは危ない。テクスト編纂史をより具体的にふまえたフランシスコ会の訳注も併読する方が安全だ。まず詩本文。

神の子らよ、ヤーウェに帰せよ、
栄光と力をヤーウェに帰せよ、

詩篇29に対する注。

賛美詩編に属する本詩は、詩編の中で最も古いものの一つと思われる。おそらく、あらしの神バアルをたたえる古代カナン人の詩を、ヤーウェに適応させたものであろう。

詩篇29.1に対する注。

本詩の前身と思われるカナン詩においては、「神(ここでは「エル」)の子ら」は、最高の神「エル」の下に位する神々の意味であろう。イスラエル時代には、この表現は、神をとりまく廷臣としての天使たちをさしたものと思われる(ヨブ1.6参照)。後には、信心深い有徳の人々に適用されるようになった。

本文の解釈が違うので注の違いが分かりにくいが、本文については岩波版、注についてはフランシスコ会訳に見るべきものがあるように思われる。つまり、どれほどよい訳や注であっても、一つの訳や注のみでは足りないということだ。

 

旧約聖書〈11〉詩篇

旧約聖書〈11〉詩篇

 

 

シスター・スタンの珠玉の断想集

Sister Stan, Stillness: Through My Prayer (Town House, 2005)

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アイルランドのシスター・スタンの断想をテーマごとに集めた本。

テーマは

・beyond fear
・trust
・letting go
・mystery
・truth
・awakening
・acceptance
・stillness

の8つ。シスター・スタンの読者にはおなじみのテーマも多い。それぞれ別個のテーマのようでいて、内的には連関していることがある。最終的には最後のテーマの stillness 「平穏」「静かな境地」「かき乱されぬ平静な心境」「静けさ」「沈黙」に至る。

瞑想や黙想を行おうとするひとが少しづつ読んで、現在の瞬間に集中し、余計な物思いに煩わされない境地(マインドフルネスに似ている)を目指すためにも使えるだろう。

ことばは平易だ。平易だけれども、ふかい思索に裏打ちされた叡智の光が滲みでるような文章だ。

全部で270ページある。その中で特に印象深いことばをひとつだけ引用する。
False humility deludes me into trying to be what I am not and prevents me from acknowledging my gifts and the gift of others.
With true humility, I feel secure in uncertainty; I own my gifts, recognise the gifts of others, and give thanks. (p. 219)

(大意)
偽りの謙遜をもつと自分が自分でない者だと勘違いしてしまう。そうなると自分の才能や他人の才能も認めることがなくなる。
真の謙遜があれば、不安のなかに安心を感じる。自分の才能を自分のものとして認知し、他人の才能も認め、感謝のこころをいだく。

(黙想)
偽りの謙遜のこころは自分を見えなくする。自分を自分以下のものと見積もる。それは本当の自分の力、他者の力を知ることを妨げる。
真の謙遜のこころは不安定なときも安心を感じさせる。不安だからと右往左往することなく、そこに安らぐことができる。そのとき初めて自分に与えられたものを受入れ、他者のそれも曇りなく見る。そして感謝のこころがうまれる。 
Stillness: Through My Prayer

Stillness: Through My Prayer